バングラデシュのテロに思う

仕事も始まって、ようやく自分も少しずつWebプログラマーらしくなってきたかなというところで、本当はプログラミングの話題とかを増やしていきたいんだけど、これについては自分もJICAに関わった身として触れておかねばと思ってこの記事を書いた。
http://www.yomiuri.co.jp/matome/20160703-OYT8T50000.html
月並みな言葉だけど、正直悲しい事件だし、許せない事件だと思う。今回犠牲になって亡くなった方々のご冥福を心より御祈りしたい。
今回の事件を「宗教」「国際協力」の2つの点で自分なりに考えてみた。

まずは「宗教」という観点から。
まず自分は基本的には無宗教だけど、クリスマスとかは普通にお祝いするし、神社に行けばお参りするし、父親の葬式は仏教式だったし、本当典型的な日本人の宗教観でキリスト教と仏教と神道のごちゃまぜ。ただ、海外で宗教について聞かれて無宗教と言うと問題あることがあるようなので、その時はとりあえず神道と答えておくと思う。
とは言っても子供の頃祖父に「悪いことすると地獄に落ちるんだぞ」と言われていて、その影響で天国とか地獄とかあるものだと何となく思っていて、それで今まで曲がりなりにも道を踏み外さなかったところはあったのかもしれないと今になって思う。そういう意味ではこれも宗教みたいなものなのかな。
自分が2年間住んだラオスは仏教国で、朝の托鉢とかにラオス人の信仰心の深さを垣間見ることができたが、それでもクリスマスにはプレゼント交換をしたりと比較的柔軟な印象を受けた。そういう意味でも違和感なく過ごせたところはあったと思う。
また、今年になって3ヶ月ほど過ごしたフィリピンはカトリックだったけど、それでもキリスト教じゃない人にとって特に過ごしにくくなる印象はなかった。
で、今回の事件はいわゆる「イスラム原理主義者」と呼ばれる連中が起こした事件。まともなイスラム教徒の人からしてもこんなことする連中はイスラムじゃないという思いは頭の中ではわかっているつもりだけど、どうしても自分自身の中でイスラム教という宗教への違和感がぬぐいきれないというのも正直ある。
自分自身宗教というものは人を幸せにするためにあるべきだと思っていて、宗教の価値観や戒律を人の幸せよりも上に置くものは自分の中では受け入れがたいというところが正直あって、その辺りがどうなんだろうな、と。イスラム教というと豚肉やお酒がダメだったり、1日に何度もお祈りしなければならなかったり、断食があったりと何かと戒律が厳しいイメージ。とは言ってもそれを受け入れて信仰している人のことはもちろん尊重するけど。
後は異教徒に対して不寛容な点もどうも違和感を覚えてしまう。それが行きすぎたのが今回の事件と無関係ではないかな、と。その辺り自分の理解が不十分なところがあるかもしれないけど、事実と異なる点があったら指摘していただけるとありがたいです。
だからこそ、イスラム教の人には今回の事件とかテロを起こすような連中に対しては徹底的に抗議して欲しいと思う。

次に「国際協力」という点で。
今回の件で途上国に対して「怖い」というイメージを持たれて国際協力の分野が敬遠されるとしたら大変残念なことだと思う。
自分自身協力隊に参加した立場かいうと、JICAは安全に対しては実際かなり気を配っていたのは事実だと思う。訓練所でも語学の次に安全に関する講習に力を入れていたし、人国でも総会とかでは安全に関する講習は毎回あったし、バイク2人乗り禁止とか危険な場所には言ってはいけなかったりとか安全がらみのルールはかなり徹底していた。
とはいえそれでも今回の事件が防げなかったのもまた事実。いくら対策を練っているとは言ってもそれでも完全ではなかったということなんだろうし、どうすれば今回のような事件を防ぐことができたかの対策を徹底的に練って、国際協力に関わる人たちが安全に活動できる環境作りをお願いしたいと思う。
それとともに受け入れ国の政府にも治安向上に力を入れてよその国から来る人が安心できるようにしてもらえればとも思う。
自分自身の経験だとラオスで2年間過ごして無事に帰国したとはいえ、デング熱とかひったくり被害とかもあった。よくよく考えると防げたなという気持ちもある。だから協力隊の説明会とかに行った時はほぼ毎回この2つについては話している。
訓練所で言われた言葉で印象深かったものに「現地で病気になったり犯罪に巻き込まれたりするのは武勇伝や自慢話にできるようなことなんかではない。2年間一度も病気にも犯罪にもあわず無事帰ってくるのが一番いいんだ」というのがあった。自分自身はそういうわけには行かなかったけど、決して武勇伝ではなくこれから行く人が犯罪や病気に対してより注意を払うようあえて「失敗談」として話している。

何だか色々と書いてあまりうまくまとまらなかったけど、これだけは言える。もう2度とこんな酷い事件が起こらないことならびに海外に行っている全ての人が無事に笑顔で日本に帰ってこれることを心の底から祈りたい。

最近政治について思っている事

皆様いかがお過ごしでしょうか。こちらの方はプログラミングも英語も徐々に忙しくなってきて、セブ島生活もいよいよ佳境に入ってきたなという印象。

さて、今回は趣向を変えてちょっと政治について語ってみようと思う。普段はSNSとかでは敢えて政治的な主張は抑え気味にしているけど、どうしても語ってみたくなる事がたまにはあって、そんな時はこっちで語ってみようかなと思う。

で、早速だけどまず思っているのが、「ぶっちゃけ、小選挙区制って駄目じゃね?」ということ。少なくとも日本の現状には合っていないなと。
具体的にどこが問題なのかというと、色々あるのでいくつか箇条書きに。
1.政党の行動原理が政策よりも政局になってしまう
 どういうことかというと、1つでも多くの議席を取るために、主義主張が合わない政党と手を組んだり、本来の政党のあるべき姿と異なる行動を取ってしまうということ。最近話題になっている民主党と維新もそうだし、自民党と公明党の連立というのも考えて見れば変な話。
 かと思うと同じ政党内で安易に内部分裂して雨後の筍のように新党ができたり、対立する政党の足を引っ張るために本来賛成のはずの政策に反対したり。どう考えても本来国を良くするために立場を超えて議論すべきはずの国会が権力闘争ありきの場になっている現状は明らかにおかしい。
2.良質な政治家が育ちにくい
現状だとほんの少しのことで風向きが一気に変わってしまう(小泉旋風で自民圧勝→政権交代ブームで民主党圧勝→民主党の自滅で自民党圧勝)ので、本当なら国会議員なんてとても務まる実力じゃない人物が何故か当選したりする一方有望な若手が波に飲まれて落選してしまったり。そんなことがあるので個々の議員もどうしてもじっくりと政策を練るよりも次の選挙のことで頭が一杯になってしまう。結局生き残るのは地盤を持っていたりで選挙に強い(≒政治家として優れている)人物ばかりが生き残ってしまう。
3.有権者にとって選択肢が少なくなる
今の小選挙区だと一番多いのが自民党、民主党、共産党という組み合わせ。共産党はどの候補でも主張はほぼ一緒なので置いておくとして、自民か民主にいい人物がいればいいけど、最悪の場合だと「共産党は入れたくないし、民主党もけしからんけど、自民党の候補者も良くないし、うーん困った」というケースがあり得る。っていうか、自分が日本に帰ってから住むところの選挙区がまさにそれ(涙)
4.選挙結果と民意との間にズレが生じる
例えば、前回の選挙だと自民がおよそ3分の2の議席数だったけど、実際の得票数はそれよりももっと少ないし、得票数の差だとそこまでではないのに議席数だとものすごい差がついてしまうことがよくある。原因としては1人しか当選しないので死票が多くなってしまうからで、そのあたりも問題なんじゃないかと思う。

実際印象として小選挙区になってから政治家が全体的に小粒になった気がするし、個人的には1つの選挙区で3~5人くらいの中選挙区が一番いいと思う。ただ、かつての中選挙区で「同じ政党同士で戦うので、それによって派閥が生じた」という主張があって小選挙区になったという経緯があるので、例えば参院選の比例代表みたいに非拘束名簿式にして政党名と個人名のどっちを書いてもいいとかのやり方はどうだろうか。その場合無所属の場合は個人名だけの得票になるので若干不利になるかもしれないけど。

それ以外には、現状の参議院は衆議院と役割がかぶっていて違いがわかりにくいので、例えば参議院の議員は政党に所属できないようにして完全に政局と離れた立場で政権のチェックをするというのもいいんじゃないかと思う。
後は、現状だと経団連とか力の強い団体の影響力が強すぎるので企業献金とかの団体献金はなしにして献金は個人での献金に限るようにするとか、政党助成金目当てに頭数を揃えて即席の新党を作るのを防ぐためにある程度(3年以上とか)継続した実績を持つ政党のみを対象にするとか、供託金を今よりも安くして立候補しやすくするとか、思いつくのはそんなところかな。
他はこれはもしかしたら難しいかもしれないけど、政治家でもたまに基本的なことを知らない人とかがいたりするので、選挙に立候補するための資格として法律、経済、政治、国際関係などの基本的な知識(+公職選挙法、政治資金規正法)をマークシート式で試験をやって通らなかったら立候補できないとかはどうだろうか。この試験は毎年やって、10年おきに更新制にするとか。これなら何か違反があった時に「知らなかった」という言い訳は通らなくなるし。

とまあさらっと思ったことを書いてみた。あくまで1つの考えだけど、読まれた方はどう思うでしょうか。