平和祈念公園を訪れて

先週の日曜に糸満市にある平和祈念公園に行って来た。沖縄に住むようになったんだし、こういう歴史もちゃんと知っておかないとというのが行った理由な訳で。
北谷町から那覇のバスターミナルまでバスで行って、那覇で昼食を食べてから糸満行きのバスへ。糸満バスタームナルで降りて、平和祈念公園まで行くバスを待とうと思ったけど1時間近く待つことになりそうだったのでタクシーを拾って平和祈念公園まで行った。


慰霊碑。

平和祈念資料館。

平和祈念公園からバスで10分くらいでひめゆりの塔へ。


ひめゆりの塔。

今回戦争に関する資料を見て、改めて沖縄戦の被害の大きさや色々な面での理不尽さ、残酷さを痛感した。それとともにあの戦争は一体何だったんだろうと色々考えた。
国境や資源、宗教や民族といった国同士で価値観や利害の対立が起きて、それが最も極端な形で衝突するのが戦争というものなんだろうとは思う。「戦争反対」といってなくせるようなものではないことは頭ではわかっているけど、それでも被害を可能な限り最小にしようとするのが政府の役割なんじゃないかと。
戦争の良し悪しはおいておくにしても(そりゃ悪いに決まっているけど)、誰がどう見てもあの戦争は戦力面で大きな差があるのはわかりきっていて、だからこそ戦争を長く続ければ続けるほど被害が大きくなるのは当然なのだから少しでも早く戦争を終わらせようとしなくてはいけなかったのに、日本各地いたるところに空襲を受け、沖縄でこんなに大きな被害を出して、広島と長崎に原爆を落とされるまで戦争を止めようとしなかったのは、あの時の政府や軍隊の連中は国民の命をないがしろにして、頭にあったのは空疎な精神論と戦争を引き起こした自分らの面子だけなんかないかという怒りも湧いて来たり。
だからこそ普段保守や愛国をうたっている人たちも少なくてもあの戦争は本来守らなくてはいけない命をないがしろにしたという本質だけは認識しておくばきなんじゃないかと。
翻って現代の日本。戦争こそないものの経済格差などで苦しんでいる人たちも一定数いて、東日本の震災も地震そのものは自然災害とはいえ、原発の事故は人災以外の何物でもない。また、沖縄でも米軍による事故や犯罪が起きるたびに日米地位協定とかの問題で本来あるべき処置が取られなかったり遅れたりということも(大多数のアメリカ人兵士は真っ当に生活していて、問題を起こす輩がごく一部なのはわかっているけど)。
そう言った問題に対して果たして与野党問わず今の日本の政治家でどれだけの人が自らの面子や利権のためでなく本当に国民の為に動くことができる人が一体どれだけいるんだろうか。政治家同士の次元の低い罵り合いや政局のことばかりを考えた言動を見ていると、どうしてもそんな疑念が出て来てしまう。だからこそ自分たちにできることは選挙で可能な限りまともな(ベストでなくてもベターな)政治家を選ぶことなんじゃないかと思う。

 

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