47都道府県の思い出シリーズその12 岐阜県

47都道府県の思い出シリーズ、今回は岐阜県。

岐阜県は名古屋や大阪に行くときの通り道になることが多く、まとまって観光したことはそんなに多くないけど、これまでだと小学3年の時に家族で飛騨高山に行った時と2009年に中津川の馬籠宿に行った時、後は2014年に白川郷に行った時か。
前2回は写真は見つからなかったけど、2014年の時の写真はFacebookにもあげていたこともあって、簡単に見つかりました。
白川郷、日本のふるさとって感じでめっちゃ良かったな。飛騨牛の串焼きも美味しかった。
雪が積もるとまた違った景観になるので、冬の時期にまた行って見たいな。
馬籠宿も写真は見つからなかったけど、なかなか良かったな。ただ、島崎藤村記念館に行きそびれたのが心残り。


白川郷

それ以外だと、ムーンライトながらが大垣が終点なので、大垣駅を降りてダッシュで次の電車に乗り換えるということが何回かあったな。後は冬に18きっぷで大阪まで行こうとした時に岐阜駅のところで雪で電車が止まって、タクシーで新幹線の岐阜羽島駅まで行って、そこから新幹線で大阪まで行ったってこともあったな。確かタクシーに3000円くらいかかったな・・・

自分がこれまで岐阜県を訪れたのはこんな感じだけど、まだまだ行っていない見所はたくさんあって、関ヶ原古戦場跡、下呂温泉、岐阜城あたりはいつか行って見たいな。後は長良川の鮎も食べて見たい。

47都道府県の思い出シリーズ、次回予定は京都府。まさに日本を代表する観光地が盛りだくさんなので、書くことは山ほどあるはず。1回で書ききれなかったら2回に分けるかも。

47都道府県の思い出シリーズその11 山形県

47都道府県の思い出シリーズ、今回は山形県。

自分が山形県に行ったのは人生で計4回。1997年、2000年、2009年、2015年にそれぞれ1回づつ。

1回目は福島岩手の記事でも書いたけど、高3の春休みの東北旅行。他でも書いたけど、この時は駆け足旅行だったのに加え、県ごとの見所とかよくわかっていなかったので、新幹線で山形駅に行った後駅周辺をふらっと歩いてお土産にラフランスゼリーだけ買って福島に戻った。

2回目は大学のサークルに山形出身の人がいたので、その人を含むサークルのメンバー4人ほどで山形のスキー場に行った時。
スキー自体は中学生以来だったので最初は怖がりながら滑っていたが、慣れるとなかなか楽しくなって行った。途中ストックを折るハプニングもあったが、学生時代の楽しい思い出。

3回目と4回目はサッカー観戦で。
3回目のときは新幹線で天童駅から歩いてスタジアムまで。玉こんにゃくや米沢牛などスタジアムグルメを満喫して、試合も勝って満足してシャトルバスで山形駅まで戻って近くのホテルに宿泊し、翌日映画「おくりびと」のロケ地とかを少し観光してから電車で仙台に移動。

4回目のときはどちらも降格が決まった後の試合だったが、観戦仲間たちと車で観戦に行った。日帰りだったのであまりゆっくりはできなかったが、NDスタ名物のカリーパン(対戦相手ごとのホームタウンの名産品などを入れたカレーパン)でみかんが入ったカレーパンを食べた。意外とみかんとカレーってあうんだなと思った。
試合の方はどちらも降格するチーム同士の試合という印象だったが、それでも次のシーズンにつながるものを少しは見れたかなという試合だった。
試合の後は近くの温泉によってから帰った。

山形のスキー場

折れたスキーストック

NDスタ名物カリーパン

47都道府県の思い出シリーズ、次回は岐阜県。

47都道府県の思い出シリーズその10 長野県(後編)

47都道府県の思い出シリーズ、長野県後編。
前編が祖母の家(=父の実家)の思い出が中心だったので、後編はそれ以外を。

父の葬儀のときのことはJOCV時代のブログに書いてあったと思ったけど、書き途中だった・・・・まああの時は気が動転していたこともあって若干記憶があやふやだったのもあるけど、とにかく吉祥寺で母と妹と合流した後電車で大急ぎで松本まで行って、そこで先に行ってた弟と伯父(祖母の次男)と合流してタクシーで父の遺体が安置されていた松本市の葬儀場まで行ったんだったっけ。思わぬ形での1年10ヶ月ぶりの日本の景色を見て、「ああ日本ってこんな景色だったなあ」と淡々と思ったものだったな。
その後葬儀場で父の遺体と対面してから葬儀用の服をレンタルして、その日に通夜を済ませて、その後の会食で父と一緒に登山に行っていた父の友人2人から事故の経緯の話を聞いてからその日は近くのホテルに泊まった。
次の日は身内と父の友人だけの少人数での葬儀。おじいちゃん(母方の祖父。2002年2月に他界)の時以来の葬式かとか思ったりした。一通り済ませてから電車で吉祥寺に戻った。
父の葬式の時はそんな感じだったけど、その後2週間は家の空気が重苦しくて、早くラオスに戻りたくて仕方なかったのを覚えている。

とまあ、父の葬儀の時の話はそれくらいで、後はそれ以外の長野県の思い出などを。
父親、祖母関連以外で長野県に行った機会をざっと箇条書きにしてみる。
・小6の時農業体験で川上村にホームステイ
・小学校時代はそれ以外でキャンプとかで2〜3回くらい行ったかも
・中1の時の校外学習で志賀高原に行った時(あまり覚えてないけど)
・高校時代は途中までワンダーフォーゲルにいたので、その時に何回か(成績不振で高2の夏にやめたけど)
・大学時代サークルの夏合宿で1回行ったかも
・エスパがらみでは2008年のこの試合と2016年のこの試合(どちらもアルウィン)。スタジアム自体は駅から遠いのを除けばいいスタジアムだけど、とにかく松本山雅に負けてものすごく悔しかった記憶が強い。
・スキーでは軽井沢のスキー場に3回くらい行ってると思う。
・2017年の駒ヶ根ハーフマラソン


外から見たアルウィン(長野県松本平広域公園総合球技場)


JICA駒ヶ根訓練所

駒ヶ根ハーフマラソン

次回11回目は山形県。サッカー関連が何回かと、後は学生時代のスキーとか個人旅行とかか。

47都道府県の思い出シリーズその10 長野県(前編)

47都道府県シリーズ記念すべき第10回目は、長野県。長野県といえば、父親の地元であり、亡くなった場所でもある。父親の命日の前日に長野県について書くというのも、何の因果か。

父親の実家は長野県長野市の農家だった。なので子供の頃は年に1回くらい家族で長野の父の実家に行ったものだった。父方の祖父は父が3歳の時に他界していたので、祖母と伯父さん、伯母さん、いとこたちで集まっていた。花火をしたり果物を食べたり、いとこたちと遊んだり(父親は末っ子なので、父方のいとこは全員自分より年上)、今思うと懐かしい思い出だな。
そんな思い出の詰まった父の実家も、2012年2月に父方の祖母が他界し、(埼玉編で書くことになるけど、2011年2月に母方の祖母の亡くなっている。それにしても俺がラオスに行っている間、身近な人が亡くなりすぎ・・・)家を継いでいた祖母の長男夫婦も亡くなって、祖母の長男夫婦の息子であるいとこが家を継がない選択をしたので、父の実家は結局売却されることとなった。

最後に父方の祖母に会ったのは2008年に家族で長野に行った時。これが最後の家族5人での旅行でもあった。その時は善光寺や温泉や博物館に行ったりした。その時は祖母は入院していたので、家族全員で見舞いに行き、その後祖母の長男夫婦がいる父の実家にも寄った。
その時は祖母は90歳過ぎで体調を崩していた様子だったが、何とかまた会えればと思っていたけど、残念ながらそれは叶わず。

次に父の実家に行ったのはラオスから帰国した翌年2013年の2月。祖母の墓参りの後寄ったのだが、祖母だけでなく父と祖母の長男夫婦も他界して、時の流れの残酷さのようなものを感じたものだった。上記の通り、その後父の実家が売却されたので、父の実家に寄ったのもこれが最後となった。

家族で長野に行った時の写真とか載せたかったけど、見つからず。母親にメールで送ってもらおうかな。
長野県の思い出日記前編は父の実家と祖母の思い出が中心になったので、後編はそれ以外のことを書こうと思う。